日本に初めてスタバが出来るまで
(スターバックス社がアメリカから日本への初進出を検討していたときの当時のことを振り返って…)
100社くらいの日本企業がスタバに攻勢をかけて日本誘致をしていた時、
彼ら二人(=鈴木家三男 陸三氏と次男 雄二氏)は「コーヒーは旨いけどパンはまずい」と言ったとか。
それが決め手で、スタバのオーナーから「君たちに日本の権利は渡すよ」といわれたそうです。
この話しを前に耳にしていて、「これは本当ですか?」と
雄二さんに訊ねたら、「それは本当だよ」ということでした。
株式会社キリガヤ代表取締役 桐ヶ谷さんのブログより引用
逗子のとある一家と、スタバについてのお話です。
逗子駅改札を降りて、駅前のなぎさ通りを進むと、スズキヤの看板が見えて来ます。
逗子に住むまでは私もこのスズキヤのことを知りませんでしたが、実はここ逗子で創業されて以来ずっと地元の人に愛されるスーパーです。
最近ではテレビで特集されることも多く、先日私の親からメッセージが届き、何かな?と思って見ると「逗子のことがテレビでやってるよ!」ということでした。
スズキヤさんの特集が、カンブリア宮殿というテレビ番組で放送されていたようです。
このスズキヤというスーパーのことを調べて見ると、色々とすごい一家なのだと分かりました。
スズキヤさん・鈴木一家の歴史
創業者・鈴木安治氏
1902年、鈴木安治氏(現社長のお祖父様に当たる)が逗子で創業。元々は食料品や雑貨を扱う小売店(よろず屋)でした。
二代目社長 道雄氏・ルリ子氏
1957年、二代目社長、道雄氏(現社長のお父様)が業態をスーパーに変えて、会社をより一層成長させました。
鈴木家の父(道雄氏)と母(ルリ子氏)には、三男一女のお子様がいらっしゃいます。
長男・安之氏
長男は安之氏。スズキヤ社長と逗子市議会の議長も務めたことがあります。
次男・雄二氏
次男は雄二氏。1970年代、葉山の海沿いのレストラン「ラ・マーレ」を新オープン。
- ラ・マーレは、今も昔もカップルで訪れたい海辺のレストランの代表格。
1980年代、ロサンゼルスに渡り、三男の雄二さんと一緒に、スターバックスの日本初誘致に携わりました。
1995年、スターバックス・ジャパン設立と、同社初代社長に就任。
雄二氏は、その後、日本料理の老舗「日影茶屋」の長女さんとご結婚され、角田の性を選ばれます。
三男・陸三氏
鈴木家の三男は、陸三氏。
青年時代を、俳優の石原裕次郎さん達と過ごされたそうです。
- 20代の頃、ロンドン、パリ、ミラノに滞在し、帰国後、1972年、サザビー(現サザビーリーグ)を創業。
- 1981年、「Afternoon Tea」を展開。
- 1982年、「アニエス・ベー」を設立。
- 1995年、次男の雄二さんと一緒に、スターバックス・ジャパンの日本の初立ち上げを行う。
- 2003年、アメリカ西海岸のセレクトショップ「ロン・ハーマン」を展開。
- 2011年、北欧雑貨「フライングタイガー・コペンハーゲン」を展開。
- 2016年、アメリカ高級ハンバーガー「シェイク・シャック」を展開。
などなど、言うまでも無くすごい、ご経歴だし、流行っているお店の名前がずらり…!
四女・洋子氏(現スズキヤ社長)
鈴木家の四女は、中村洋子氏(現スズキヤ社長です)。
洋子さんは、その昔、三男の陸三さんと一緒にロンドンで生活されました。
陸三さんがサザビーを設立されると、その会社のバッグ事業部の営業としてご活躍。
その後、洋子さんは、東京の西麻布で鰻屋(うなぎや)さんをオープン。
オープンからたった一年で、開業時の銀行から借り入れた借入金を全て完済したほど、お店は繁盛したそうです。
その鰻屋さんで、当時の板前をご担当されていたうなぎ職人さんが、今もスズキヤの厨房で腕を振るってらっしゃるとのこと。
そして、なんと、その鰻屋さんのアルバイトをされていた青年さんが、今の夫(中村洋さん)と言うことのようです!
洋子さんは、夫である洋さんと一緒に海外を旅した後に、41歳でスズキヤの社長を継がれ、地元の人からも大人気のスーパーを築き支えていらっしゃいます。
終わりに
そのルーツが逗子にあったということを知って、一人のスタバファンとして嬉しい気持ちになったよ。
ちなみに、この記事を書いている場所は、品川のスタバで、アイスコーヒーを飲みながら書きました!
参考文献
※冒頭に引用させていただいたブログは以下の通りです。
株式会社キリガヤ代表取締役 桐ヶ谷さんのブログ
「刺激的な忘鍋会」2014年12月24日 ご執筆されたものです。