こんにちは。
今回のブログは、もし逗子・葉山に二人で遊びに来たときに、デートでどこに行こう?という方に向けて、私が個人的におすすめすることを書きます。
おすすめする上で、私はこんなことを思っています。
もし、今日のデートのことを5年後の自分がふとした時に(料理をしているときやどこかの町を歩いているときなど)、思い出したとしたら、そのとき頭の中にはどんな感情やどんな情景を思い出すのだろうか?
5年後の自分が思い出した感情や情景はこんな感じでしょうか。
ストーリー①
その日、あの場所に、その時気になっていたあの人と一緒に行ったことは確かに思い出せるけど、その時自分の見ていたものや光景について、その時に自分が思っていたことや感情なんかは全然思い出せない。
一緒に来てくれた、あの気になる人とどんな話をしたんだっけ、内容はほとんど忘れちゃった気がする。。
あるいは、こんな感じでしょうか。
ストーリー②
その日、あの場所で、気になる人と一緒に二人で横に並んで座って見た、あの景色、綺麗だったな〜。
何を二人で話していたかはもうほとんど思い出せないけど、あの時の天気とか外の気温とか、なんか心地のよい感じで思い出せるし、その時の自分が感じた感情のかけらがまだ少し残っている気がする。
その感情のかけらが残っていることに対して負の感情は全然なくって、今だにちょっとキラキラ輝いている感じさえする。
ストーリー①は私自身が5年前の自分を振り返って、当時好きだった人と一緒に映画館で話題の映画(ジブリの新作でした)を観に行った時のことを、その日から5年後の現在(いま)思い出した時のことです。
話題の映画は、その何年後かにテレビで再放送されたり、ネットフリックスの映画リストの中で見つけたりすることがあり、
その度に「ああ、この映画はあの時あの人と一緒に見たやつだな」と昔のことをふと思い出します。
でも、その時のことを思い出そうとしても、その時の情景はほとんど覚えていません。
確かに映画館の席に二人で並んで座って、あの映画を見たこと自体は覚えているのですが、
その映画を見ながら何を思っていたのか、
どんな感情を抱いたのか、
映画館は満員だったのか、
自分たちの周りの席にはどんな人たちが座っていたのか、
その日の天気はどうだったのか、
映画館に行くまでの道は晴れていたのか、曇っていたのか、
など自分の意識はどこか遠くにいってしまっていたのかと思うくらいに思い出すことが出来ません。
※ジブリの映画が悪かった訳ではないです。
どうして、あの時、あの人と一緒に映画を見たときのことを、5年後の私はほとんど何も思い出せなくなっているのでしょうか。
最近読んだ本『「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門』という本を読んでいて、少し思ったことがありました。
▼参照文献
本の著者はこうした経験は、自動車を運転するときに、運転ハンドルに置いた手をどのくらい意識しているのかということに近い経験だといいます。
車の運転に慣れてくると、ハンドルに置いた手に意識を向けなくても、車はスムーズに行きたい方向へ真っ直ぐに走って行きます。
運転をしながらおしゃべりしたり、食べ物を食べたり、音楽を聞いたりすることも、簡単にできるようになります。
私は普段自動車よりも自転車派なので、代わりに自転車をこいでいる時のことを思い出してみます。
朝、自転車の鍵を開けて、サドルに腰をおろし、家の前の通りに出たところまでは覚えています。
最後に、駅前の駐輪場に自転車を停めたことも覚えています。
でも、家と駐輪場の間のことはどこまで覚えているでしょうか。
通りかかった交差点の信号は青色だったのか、それとも赤色だったのか。
途中の道で、通り過ぎた人はどんな服装をしていたのか。
家から目的地である駐輪場に着くまで、身体は無意識に自転車を運転し、自分の意識はどこか遠くに行ってしまっていたと思うことはないでしょうか。
その無意識の状態というのは、必ずしも悪いことではなく、自転車の運転が上手くなったということの証明でもあるかと思います。
でも、身体が何か一つのことをしている時に、自分の意識がどこか遠くに行ってしまっている時間が多いと、漠然と満たされない寂しさがあります。
ストーリー②は5年前の私が当時好きだった、ストーリー①の映画を観た同じ人と、映画館で映画を見るのではなく、大学のキャンパスの芝生の上でお互いが隣り合って座って取り留めもないことをおしゃべりした時のことを、その日から5年経った現在(いま)の私が思い出しています。
当時は、海のそばに住んでいたわけではなく、芝生に座って二人が見た景色は海ではなく、夏がやって来る前の桜の木の青々とした緑であったり、夕もやのかかる空だったりしました。
それでも、私はこの時のことを、今でも振り返ってかなり鮮明に思い出せます。
そのときに話した内容までを全部思い出すことは難しいのですが、
そのときに二人で見ていた情景や、
天気は晴れていたのか、
時間帯は何時頃だったのか、
周りに人がいたのかいなかったのか、
という風なことが鮮やかに記憶の中に残っています。
自分の目は目の前の景色を見ていても、意識は完全に自分と相手のことを意識しており、美しいものを見たときや、激しく胸を打つ出来事を経験したときのように、時間はスローモーションのように流れ、意識は「今」という時間と一体になっていました。
ただ悲しいことに、こうした経験も時間がたてば少しづつ色あせてしまいます。
だけど、それでも清らかで平和な時間を過ごしたという記憶は、何年後か未来の自分が思い出しても、確かな満足感を味わうことができます。
今回のブログのタイトルを「海を眺めるだけのデートの“すすめ“」と書いているのは、こんな理由からです。
逗子・葉山という美しい町に何かのご縁があって、好きな人・気になっている人と二人で一緒の時間を過ごすことができる機会を持つことができた人。
そして、たまたま私のブログを読んでいただいた読者の方。
そんな方々に対して、
「もちろん映画は素晴らしい。
だけど、二人でただ海を一緒にぼんやりと眺めるのもおすすめするよ〜」
ということをお伝えできればと思ったのでした。
今日から5年先の未来の世界。
あなたが今日一緒に時間を過ごした、その気になる人と一緒に二人で人生を歩んでいるのか。
それとも何かしらの理由があって別々の道を歩くことになってしまっているのか。
それはきっと今は神様だけが知ることでしょう。
だけど、5年先の未来で、ふとした時に今日のことを思い出すことがあると思います。
そんな時、
「二人で一緒に海を眺めて話した」時間は、
美しい海の情景と一緒に、
心地よい気温とか、
空の青さとか、
うっとりするような夕焼けとか、
潮風の匂いなんかと合わさって、
きっと自分の人生の1ページを輝かせてくれることかと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。